"NEZASとは何か"を探究するとは、地域とともにどうあるべきか、人々とともにどうあるべきか、そして人は人とどう向き合うべきかと同義であると考えています。その考えをもとにこれまで行動する中で、様々な方々との出会いがあり、その出会いから新たな問いが生まれてきました。
今回は、「すべての生命が安心して生活できる社会(世界平和)の実現」をビジョンに掲げ、カンボジアの地雷被害者支援やウガンダの元子ども兵の社会復帰支援などの活動を続ける、認定NPO法人テラ・ルネッサンスの創設者であり理事の鬼丸昌也さんをお迎えしました。鬼丸さんとの対話を通して「社会貢献とはなにか」を探っていきたいと思います。
主宰:新井将能
協力:PHP研究所
写真:小池彩子
構成:中川和子
株式会社NEZASホールディングス代表取締役社長
栃木県出身。東洋大学大学院経営学研究科、社会学研究科修了。早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得。経営学修士、社会心理学修士。神奈川大学経済学部非常勤講師、事業構想大学院大学客員教授などを歴任。著書に『図解で学ぶコトラー入門』(日本能率協会マネジメントセンター)がある。
認定NPO法人テラ・ルネッサンス理事・創設者。
1979年、福岡県生まれ。立命館大学法学部卒。2001年、初めてカンボジアを訪れ、地雷被害の実情を知り「すべての活動はまず『伝える』ことから」と講演活動を開始する。同年10月、大学在学中にテラ・ルネッサンスを設立。2002年、日本青年会議所人間力大賞受賞。地雷や子ども兵や平和問題を伝える講演活動を学校、企業、行政などで年に100回以上行っている。
新井 : 鬼丸さんに初めてお目にかかったのは、今から5年ほど前のとあるセミナーでご一緒した際かと思います。その時には伺えなかったのですが、海外には以前から関心を持たれていたのでしょうか。
鬼丸 : 私は福岡県の北九州市の生まれなのですが、小学生のときに同じ県内で父親の故郷でもある小石原村(現・東峰村)に引っ越しました。転校した当初は環境になじめなくて、毎日、小学校の図書室で過ごすようになりました。そこで、毛沢東とかスカルノとかクワメ・エンクルマとか、アジアやアフリカでの独立運動指導者の伝記を読んで衝撃を受けていました。
新井 : なぜそのような伝記に興味を持たれたのでしょうか。
鬼丸 : 本の中に出てくる、何かに虐げられている人や弱い立場にある人と自分とをどこか重ね合わせていたのかもしれません。一人ひとりの力は弱いけれど、力を合わせて自分たちの手で大国から独立を勝ち取ることができたというストーリーに、こうやって自分や社会は変えられるのか、と共感していました。
新井 : 引っ越されて生活環境もかなり変わったのでしょうか。
鬼丸 : 村の中心部から家までは4キロほど離れていました。いちばん近いスーパーでも車で40分も走らないといけないので、買い物に行くにしても学校に通うにしても、隣町の駅まで親か友だちの親に送ってもらわなければなりませんでした。誰かに助けてもらわないと目的が果たせない環境にいたのです。そうした環境の中で"ひとりでは何もできないんだ"ということを叩き込まれたわけです。だから人にお願いすることや人の協力を得ることは、私にとっては当たり前のことになっていました。
新井 : コミュニティの中で助け合っていくことを経験されていたのですね。
鬼丸 : うちの集落は7軒しかないから下水道だって通っていないし、山の水を引いてきて、みんなでろ過槽を置く共同簡易水道を使います。当時、父は40代くらいでしたが、集落ではいちばん若いから嵐になれば修理に行くし、晴れた日は集落総出で掃除に行っていました。その恩恵は誰に行くのかというと、子どもたちや、その集落のこれからの世代です。そういう父や集落の方々の振る舞いを見ていて、受けた恩を返すのは将来世代だという感覚を持っていました。より良い未来をつくる、未来に恩を返すために何をするべきなのかという発想になったのは、地元で暮らした18年間が大きく影響しているのかもしれません。
新井 : 学生時代にカンボジアに行かれたことが現在の活動のきっかけになったとご著書『平和をつくるを仕事にする』(ちくまプリマー新書)の中で述べられていた気がします。
鬼丸 : 高校3年生のときですが、カンボジアに行く前に、ある団体のスタディーツアーに参加してスリランカに行きました。そこでサルボダヤ運動※ を行うスリランカでいちばん大きなNGOを知って、その指導者のアリヤラトネ博士に会うことができたのです。博士は内側からの動機づけでコミュニティを変えていき、最盛期はスリランカにある村の3分の1ほどのコミュニティをそのやり方で変えていったという人です。
博士に「おまえは世界を変えたいか」と聞かれたので、私が「はい」と答えたところ、「それなら世界を変える秘訣を教えてあげよう。それは、特別な力や経験やお金がなければ世界を変えられないということはないということだ」と言われました。そして、「『すべての人に未来をつくる力がある』ことを覚えておいて欲しい」とも言われ、誰にでもどんな困難をも変化させる力があることを教えていただきました。
※サルボダヤ運動……アリヤラトネ博士が始めた、世界から飢餓や争いをなくすことをめざす、仏教的世界観を背景にした社会活動。
新井 : アリヤラトネ博士との出会いが、その後のカンボジアでの活動につながるのですね。
鬼丸 : カンボジアに行ったのは大学4年のときで、2001年の2月です。地雷が埋設された村を見て「自分には何ができるのだろう」と悩みました。その中で「私は地雷を撤去することはできないけれど、カンボジアの現状を日本に伝えることはできる」と思い立ち、報告会を何回も開催する中で、大学4年生の2001年10月にひとりでテラ・ルネッサンスを創りました。
新井 : ひとりで始められた団体も今は大きな組織になっていますが、活動が定着していったのはなぜだと思われますか。
鬼丸 : 一番重要なのは、自分のできないことを自覚することだと思います。NPOにはいくつか大きな経営資源があって、そのひとつが"できないこと"だと思っているのです。自分ができないことは誰かにとってはできることだから、できないことを自覚したときに、それは誰かできる人とつながるのりしろになるのだと思っています。そうやって手を取り合うことによって、運動が大きくなっていく気がします。 私にとっていちばん大きかったのは、英語が話せないことでした。たとえば2004年に子ども兵※ の調査でウガンダに行くときには、他の団体から応援に来てもらいました。そのようにして人の輪が広がっていき、今では日本人が20名、外国籍の職員が80名在籍し、世界9カ国で活動できるようになりました。
※子ども兵……軍隊に所属する18歳未満の子ども。少年少女関係なく、貧困によって志願したり、誘拐されて強制的に兵士にさせられたりするなど、世界に25万人以上いると言われている。
新井 : なぜNPOとしての活動を選択されたのでしょうか。
鬼丸 : 理由は2つあります。
ひとつは、2000年代の初頭は社会課題に企業が取り組むような機運があまりなく、NPOやNGOを選択することが多かったということ。もうひとつは寄付の可能性に賭けてみたかったということです。寄付は対価性というか見返りがないですよね。人の「社会を変えたい」という想いのもとに出していただくものなので、その人の良心を呼び覚ます、人の可能性を呼び覚ますためには、難しいけれど寄付がいちばん良いのではないかと思ったのです。
新井 : これまで続けて来られている活動の源泉はどこにあるとご自身は思われますか。
鬼丸 : たぶん、「好奇心」なのだと思います。世界平和って人類史上、誰もまだ実現したことがない、つまり誰も知らない、だから単純に見てみたいのです。
新井 : そういう想いはそれこそ幼少期からずっと持たれていたのでしょうか。
鬼丸 : そういう芽は小さい頃からあった気がしますが、"好奇心"と表現するようになったのはここ最近です。先ほどいただいたような質問を受けることも多く、それなりに答えてきたのですが、実はずっとしっくりきていませんでした。
活動をする中で、社会的な不条理にあって怒りをおぼえることもありますし、無力感を感じることもあります。でも、淡々と24年間やっている原動力は何だろうと考えたときに、周囲の方々からかけられた"好奇心"という言葉に巡り合いました。「世界平和を見たい」という好奇心、そしてそれを自分の子どもたちに見せてあげたいですし、それはとても美しいものなのではないかと思っています。
新井 : 鬼丸さんの活動は社会貢献活動と言えると思うのですが、その趣意はとても独特な印象を受けます。
鬼丸 : 「mustよりwant、wantじゃないと続かないよ」と私の仲間が言っていました。ほんとうにやりたいことなのかどうかがとても大切だと思います。
「どうしてその国を支援することになったのですか?」とか「どうして元子ども兵の問題に取り組むことになったのですか?」という質問を受け、その時はもっともらしく答えるのですが、本心では「それはもう縁とタイミングだよね」と思っています。よく企業のトップの方たちにも「わが社はどんなことに取り組んだらいいでしょう?」というご相談をいただくのですが、「ご自身がやりたいと思ったこと、今、ご縁があって触れあっているもの、そのタイミングで出合ったものでいいんじゃないですか」とお答えしています。
新井 : 活動を続けていかれる中で、ご自身が大切にされていることはありますか。
鬼丸 : 社会を明るく楽しく穏やかな方向に変えるならば、そうありたい姿と比例したプロセスであるべきだと思っています。つまり、明るいものを目指すならば明るい運動、楽しいものを目指すなら楽しい運動でなければならないと思っていて、それを"チャーミング・アプローチ"と専門家は言うそうです。人は美味しい・楽しい・嬉しいところに集まってくるらしいので、そういうアプローチを続けていきたいなと思います。
仮にどんなに世界の分断が激しくなろうとも、どんなに社会が暗くなったとしても、明るいものは明るいままでなければいけないし、美しいものは美しいままでいなければいけない。そう思うのは、やっぱり紛争地をたくさん見ているからなのだと思います。
独裁者たちは彼らなりの美しいものを追求したのでしょうが、彼らのやり方は美しいものを追求するために、彼らにとって美しくないものを全部排除した。その結果、彼らが理想とする美しいものすら残らなかった。とすると、美しいものをつくるためには美しいプロセスでなければいけないと強く思うのです。
NEZASの実践 | ||
第1回: | マーケティングとはなにか――ゲスト:高岡浩三さん | |
第2回: | 事業におけるミッションとはなにか――ゲスト:山崎大祐さん | |
第3回: | 社会貢献とはなにか――ゲスト:鬼丸昌也さん | |
第4回: | 起業とはなにか――ゲスト:和田智行さん |