NEZASの軌跡 ここでは“NEZASとは何か”を問い続けてきた足跡を残しています

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NEZASの実践

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"NEZASとは何か"を探究するとは、地域とともにどうあるべきか、人々とともにどうあるべきか、そして人は人とどう向き合うべきかと同義であると考えています。その考えをもとにこれまで行動する中で、様々な方々との出会いがあり、その出会いから新たな問いが生まれてきました。

今回は、東日本大震災時の原発事故で避難区域となった福島県南相馬市小高(おだか)区で、いったん人口がゼロになった状態から小高ワーカーズベースを創業された和田智行さんとのお話を通じて、「起業とはなにか」について考えてみたいと思います。


第4回
起業とはなにか

ゲスト 和田智行さん


主宰:新井将能
協力:PHP研究所
写真:後藤鉄郎
構成:森末祐二

新井将能
(あらい・まさよし)

株式会社NEZASホールディングス代表取締役社長
栃木県出身。東洋大学大学院経営学研究科、社会学研究科修了。早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得。経営学修士、社会心理学修士。神奈川大学経済学部非常勤講師、事業構想大学院大学客員教授などを歴任。著書に『図解で学ぶコトラー入門』(日本能率協会マネジメントセンター)がある。

和田智行
(わだ・ともゆき)

株式会社小高ワーカーズベース代表取締役
福島県相馬郡小高町(現・南相馬市小高区)出身。中央大学経済学部卒業。グロービス経営大学院修了。2005年に東京でITベンチャー企業を立ち上げ役員に就任。2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故により、自宅が警戒区域に指定されて避難生活を余儀なくされる。2012年にITベンチャー企業を退職し、会津若松市のインキュベーションセンター勤務を経てインキュベーターの資格を取得。2014年5月、日中の活動が認められた小高区に戻って「小高ワーカーズベース」を設立した。以後、「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」というミッションのもと、さまざまな事業を展開。簡易宿所付コワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」およびコワーキングスペース「NARU」の運営、ガラス製品の製造・販売などを手がけている。


小高ワーカーズベースとは


新井 : 共通の知人を介してご紹介いただき、和田さんに直接お目にかかるのは今回でまだ2回目なのです。そのため和田さん自身のことをまだよく存じ上げないのですが、もともとはIT業界にいらしたのですね。

和田 : 長男の私は実家の織物業を継ぐようにいわれながら育ったこともあり、大学を出て、繊維関係の商社で5年くらい勤めてから実家に戻ろうと考えていました。ちょうど就職氷河期で思うように就職活動が進まなかったときに、「これは起業するしかない」と考えました。
インターネットが普及し始めた時期だったので、この業界でスキルを身につけたら、福島の田舎でも食べていけるのではないかと思ったのです。そのときまでコンピュータを触ったこともなかったのですが、とにかくIT業界に飛び込んでみることにしました。

新井 : IT業界で経験されたことは、現在の仕事にどのように活きていますか。

和田 : 100点満点のものをつくって満を持してリリースするよりも、まず60点か70点くらいの出来のものをとにかくリリースして、反応を見ながらチューニングしていくという仕事のやり方が普通でした。
現在はさまざまなことに挑戦していますが、例えば飲食店やスーパーマーケットを開業した際、私はどちらもアルバイト経験すらない素人だったのです。そのため万全の準備をしようとしたら、いつまで経っても始められないので、とにかく店を開いて、営業しながらサービスをよくしていけばいいと考えました。こうしたフットワークの軽さにIT時代の経験が役立っていると思います。

新井 : 小高ワーカーズベースを紹介される際には、どのように説明されていますか。

和田 : 名刺交換をするときは、「原発事故で避難区域になった街で、住民ゼロの状態からいろいろな事業を創っています」という説明をしていますが、「何屋さんですか?」と聞かれたら、私にもよくわからないので何ともいえないというところはありますね(笑)。株式会社として法人登記した際には、「コワーキングスペースの運営」とか「研修」とか、いくつかの業種を登録しました。

新井 : 株式会社として始められたのですね。

和田 : 創業当初、まだ住むことすらできなかったこの地域で、非営利団体ではなく、純粋に営利事業者としてお金を稼ぐことができるということを示すのが大事だと思いました。なので最初から株式会社にして、ちゃんと利益を上げながら回していくことを目指したのです。


暮らしたい街を創る


新井 : 飲食業はどのような経緯でかかわることになったのでしょうか。

和田 : まだ地域の飲食店が再開していなかった頃、除染などの作業員の方々が寒空の下でお弁当を食べているという話を聞いた同僚の方から、「作業員さんたちに豚汁1杯100円とかで売り歩こうか」という声が上がり、「それなら食堂をやりましょう」という話になり、食堂を始めたのです。調べてみると、昼間作業に来ている人が5~6000人くらい当時おられたので、十分商売になると思いました。
いざふたを開けてみると、作業員の方々はもちろんのこと、周辺に避難されていた小高の人たちがわざわざ来てくれるようになり、お客の6割くらいが地元の人たちという状態でした。避難生活でコミュニティをバラバラにされ、それまで仲が良かった人たちと離れ離れになっていたので、ここで顔なじみに会えると喜ばれたのでしょうね。

新井 : 地元の方々にとって地域のコミュニティは大切なものだったのですね。

和田 : 津波などの被害を受けていながら賠償金が出ていない地域もあり、一部の住民同士で軋轢が生じることもあったと聞きました。だからこそ余計に、小高の人たち同士で気兼ねなく話をしたかったのだと思います。

新井 : 事業を通じてどのような街を創っていきたいとお考えなのでしょうか。

和田 : 大前提として、大きな工場やショッピングモールなどを誘致して、それが中心になるような街には住みたくないと思いました。当社が100の事業を創ろうと考えているのは、この地域で誰よりも早くたくさん事業を始めて、何かを誘致するよりこっちのほうがいいと思ってもらいたいからなのです。
だからといって、「地域のため」「住民のため」ということを念頭に置くと、どんな事業をやりたいのか、何をやるべきなのかを考える軸がぶれてしまうので、そこは気をつけるようにしています。そうではなく、原発事故で避難区域になり、一度住民がゼロになった街だからこそ、自分たちが本当に暮らしたい街をゼロから創りたいと考えているのです。
私の理想は、車でないと移動できない町ではなく「歩いていて楽しい街」なのです。「ここに来たら何か面白いお店がある」とか、「ここにしかない物が買える」とか、そんなワクワクする街で暮らしたいですし、そういう事業を生むことで生計を立てていきたいと思っています。


人間らしく生きるために


新井 : 自分たちで街を創っていくという考えに至ったきっかけは何でしょうか。

和田 : リーマンショックで痛い目に遭って、このままITの仕事を50歳、60歳まで続けられるのだろうかとモヤモヤした気持ちで過ごしていた時期があります。そんなときに震災があり避難生活を余儀なくされたことで、価値観が大きく変わったように思います。それまではお金を稼ぐことがすべてでしたが、震災をきっかけに、小高で新しい事業を創っていこうと考えるようになりました。

新井 : 避難生活をされているときに、どんなことを感じられたのでしょうか。

和田 : 避難生活の中で食べ物もガソリンも手に入らず避難所がいっぱいで寝る場所もない経験をしたとき、ただお金を稼ぐだけではダメだと思うようになりました。義弟は電気工事の仕事をしていたこともあり本当にたくましくて、一緒に避難している中で彼の活躍に何度も助けられました。その姿を見て、"自分には生きる力がない"ということを痛感したのです。そして、助け合えるコミュニティであるとか、危機的な場面で自分が役に立てるとか、そういうものがたくさんあったほうが人生は安定するのではないかと思うようになりました。
そういったことがきっかけで、ビジネスの考え方も変わりました。大きな資本が入ってその収益で街が潤うのではなく、小さくても多様な事業者がたくさんいて、たとえ社会が変化したり予期しないことが起きたりしても、そのたびに新しい事業が立ち上がっていく地域のほうが持続的だと思うのです。だから、1つの事業を大きくしていくよりも、小さくても利益が出る事業をたくさん持っているほうが安定すると考えて、「100のビジネスを創出する」という方針を打ち立てました。

新井 : これまでお話を伺ってきて、常に生きる意味を問い続けられ、偶然に出会ったものを必然に変えてこられているという印象を受けました。そんな和田さんが事業というものをどう捉えていらっしゃるかを教えていただけますか。

和田 : いわゆる優秀な人材が大企業の中で鬱屈しているような状況は本当にたくさんあると思います。起業家が育ちにくい理由としては、"起業"という言葉が重すぎるのも一因ではないかと考えています。起業というと、それなりに大きな規模でスタートアップしなければいけないというイメージが凝り固まっている気がします。ですから最近は"開業"というライトな言葉を使ったりしています。もっと気軽に、「自分はこういう暮らしがしたい」「こういう街で暮らしたい」「こういう人たちと生活したい」という想いを"起業"という手段で実現すればいいのではないかと思います。