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NEZASの探求

“NEZAS”は地域に根ざすことを掲げて名付けられました。ただ、それは単に根を伸ばすとか定着するという意味だけにとどまりません。

むしろ、地域とともにどうあるべきか、人々とともにどうあるべきか、そして人は人とどう向き合うべきか。その答えを追い求めるために動き続けることにこそ、NEZASの真の意味があると考えます。

今回は、元宝塚劇団生で現在は一般社団法人Huuug代表として、また、元南三陸復興応援大使として東北復興支援のボランティア活動を続けている妃乃あんじさんとの対話を通じて、NEZASらしさを探求してみたいと思います。


対談企画 第1回
感情にフタをせず
自分の中からあふれる気持ちを大切にする
――元タカラジェンヌが
東北復興支援に取り組むわけ――

ゲスト 妃乃あんじさん


主宰:新井将能
協力:PHP研究所『PHP』編集部
構成:若林邦秀
写真:小池彩子

新井将能
(あらいまさよし)

株式会社NEZASホールディングス代表取締役社長。栃木県生まれ。東洋大学大学院経営学研究科、社会学研究科修了。早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得。経営学修士、社会心理学修士。事業構想大学院大学にて客員教授も務める。

妃乃あんじ
(ひのあんじ)

一般社団法人ハーグ代表。大阪府生まれ。宝塚歌劇団月組出身。「花の宝塚風土記 -春の踊り-/シニョールドン・ファン」でデビュー。元南三陸町復興応援大使。日本メンタルヘルス協会基礎心理カウンセラーや舞台女優、講演会講師として活躍中。


すべてを手放し、
ぽっかりと心に穴が開く


新井 : 私は、2015年にNEZASホールディングスを創立して以来、「地域に根ざす」とはどういうことかを探求し続けてきました。そして、「地域に根ざす」とは「人と向き合うこと」であり、「人と向き合うこと」は「自分と向き合うこと」ではないか、ということに思い至ります。
妃乃あんじさんは、宝塚歌劇団で9年間ご活躍されましたが、2011年に退団後は東北復興支援を中心に活動されています。
宝塚という華やかな世界から復興支援という活動への転換には、ご自身の中で意識が大きく変わる何かがあったのではないかと思っており、今日はそのあたりのところをお伺いさせて下さい。

妃乃 : 「NEZAS」って、素敵な言葉ですね。私自身、自分が本当に地域に根ざしたと思えるのは、自分の出身地でも宝塚でもなく、東北の南三陸町です。
宝塚を退団した理由の一つに、ずっと二人三脚で歩んでくれた母の看病をしたいという思いがありました。ところが、退団の前に母は亡くなってしまいます。
そんなときに起こったのが東日本大震災でした。日本全体を揺るがす大変な事態が起こっているのに、今振り返ってみると私はその実感が持てず、どこか宙に浮いているような感じでした。自分のことだけで精一杯だったのです。

新井 : そんな状態だったあんじさんが、東北に思いを馳せ、具体的な一歩を踏み出されますね。そこに何があったのでしょうか。

妃乃 : 宝塚というのは、生活のすべてを歌劇のために捧げる場所です。退団によってそれがなくなり、看病しようと思っていた母もいません。私の中はすべてが空っぽになりました。ここにいるのは、「妃乃あんじ」でもなく「母の娘」でもない。ただ素のままの自分だけです。
これから私は何をすればいいの?——そんな思いに沈んでいたとき、被災地で大切な人を亡くされた方々のことが心に浮かびました。私も母を亡くして悲しい思いをしましたが、それでも母は暖かい布団の上で家族に見守られて逝きました。津波で亡くなるのは、それどころではありません。
被災地へ行って私が何かの役に立つなんて思いませんでした。ただ、現地に足を運んでその中に身を置き、地元の方々とお会いすることで、自分自身に何か変化が起こるのではないか、前を向いて歩みだすきっかけをいただけるのではないか——そんな気持ちでした。


目の前の一人のために、
できることをやる


新井 : とはいえ、縁もゆかりもない土地で活動するのは簡単なことではなかったでしょう。

妃乃 : もちろん、地元の人にとって私は「外の人」です。本当に受け入れてもらうまでには、長い時間がかかりました。
でも、私は誰かに認められたくて東北に行ったのではありません。「みんながこんなことをしているから」と他人と比べて何かをしようという気持ちも全くありませんでした。
私自身が自分をリセットし、ゼロから再スタートを切る。そのためには、誰かに頼るのではなくて、自分の力でできることだけをやろうと。

新井 : なるほど。だからこそ、どこにも所属せずに、一個人として活動されてきたのですね。

妃乃 : 私一人でやれることは限られています。いきなり100人、200人の方のお役に立つことなどできません。ですから、たった一人の人のための活動をしようと思いました。それが私の原点です。
とにかく被災地を自分の足で歩いて、いろんな声を拾い上げました。その中で、普通なら埋もれてしまうようなこと、行政やボランティア団体では手が回らないような小さなことでも、私が関わることで誰か一人が今よりもハッピーになれると感じることがあれば、その一点に絞って取り組もうと思いました。

新井 : たとえばどんなことでしょうか。

妃乃 : 奥様が津波に巻き込まれ、行方不明になって2年以上経つという方がいらっしゃいました。これはご遺族にとってはいつまでも気持ちの整理がつかず、想像以上に苦しいことなのです。 日が経つにつれ捜索活動は縮小され、次第に世の中の関心が薄れていきます。でも、この方には、まだ捜索していないある側溝に自分の妻がいるはずだという強い思いがありました。その話を耳にしたとき、私は「絶対やらなきゃ」と思ったのです。
見つかるかどうかではなく、「ここも全部探したよ」と言えること。そのことが、この方の耳に届いたとき、ほんの少しでも気持ちの整理を助けることになるかもしれない……。 捜索活動ですから、役場と警察署に届けを出し、有志の方にも集まっていただいてやりました。
認められるためではなく、やることに意義がある。その一念で活動を続けました。結果的にそれが、町の人にも受け入れられることにつながったのかなと思います。

新井 : 宝塚のときは、お客様にどう見られるのかを意識されていたかと思います。ところが復興支援のときは、まわりにどう思われるかは関係なかった。そのあたり、ご自身で何か意識されていることはあったのでしょうか。

妃乃 : 宝塚の頃は、宝塚にいる自分に価値があると思っていました。宝塚に入れたからこそ、多くの人に期待され、自分の夢の道に進んでいける。そのことを疑う余地はありませんでした。
でも、宝塚というある意味閉ざされた世界から広い社会に出てみたことで、たくさんの気づきと学びがありました。そして、私自身は、人から褒められる人間になりたいのではなくて、自分の思いや感じていることを偽らずに表現する、自分らしい自分でありたいと思うようになったのです。


「なりきりステージ」で
自分らしさを表現する


新井 : 被災地の子どもたちを対象にした「なりきりステージ」という活動は、そんなあんじさんの思いが集約した取り組みですね。

妃乃 : そうなんです。震災という過酷な状況の中で、自分の感情にフタをしてしまっている子どもたちが少なくありませんでした。不安が高まり、気力がなくなっている子どももいました。不安を口に出せず大人たちを慮って、我慢していたんですね。
「なりきりステージ」は、どんな子どものどんな感情もそのまま受け入れる。その存在自体を受け入れる、という姿勢でやっています。
『三匹のこぶた』や『赤ずきんちゃん』などの童話を題材に、プロジェクターにアニメーションを映し出し、登場人物と一緒になって歌ったり踊ったりするというパフォーマンスです。その中で、これまでフタをしていた子どもたちの心が次第に開かれて、自分の思いがどんどん出てくるんです。
思いっきり笑顔になる子もいれば、大泣きする子もいる。歌いたくない踊りたくないという子もいる。どんな反応も一切否定しないで、ぜ〜んぶそのままを受け入れるんです。
上手に表現することが大事なんじゃない、自分の中からあふれる気持ちを大事にすること、その子の本質が表現されることそのものがすばらしいことなんだっていうメッセージを込めています。

新井 : あるがままの自分を受け入れられることで、子どもたち自身が自分らしいあり方に気づく。それが楽しいとあんじさんは感じるからこそ活動を続けられているのでしょうか。

妃乃 : とっても楽しいんです。人は誰でも肯定されたいんです。子ども時代という人生の初期の段階で、無条件で受け入れてもらえる状況を体験として知ってほしい。
その体験が、いろんなことが起こるこれからの人生で、自分を肯定するギフトになればいいのかなと思っています。

新井 : あんじさんのお話を伺ってみて、あらためて他者との向き合いは、自己との向き合いであると感じました。
そして、自身と向き合うためには、自らに起こったことにありのままに向き合うこと、言い換えれば、起こった事実を否定したり無かったことにしたりしないことが、大切なのではないかとも思いました。
さらには、そうした事実に何らかの自分なりの意味を見出して自分なりの答えを見つけることが大切なのではないかと考えました。

今日は貴重なお話をありがとうございました。
(了)

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