株式会社 NEZASホールディングス株式会社 NEZASホールディングス

MENU
トップに戻る

NEZASの探求

“NEZAS”は地域に根ざすことを掲げて名付けられました。ただ、それは単に根を伸ばすとか定着するという意味だけにとどまりません。

むしろ、地域とともにどうあるべきか、人々とともにどうあるべきか、そして人は人とどう向き合うべきか。その答えを追い求めるために動き続けることにこそ、NEZASの真の意味があると考えます。

第4回のゲスト村上靖彦先生は、現象学という方法論を用いて、医療や介護の現場で、コミュニケーションのあり方を実践的に研究されています。たとえば医学的エビデンスではなく、看護師に経験された意味を探求することで、コミュニケーションの内実を明らかにしようとするものです。つまり数式や統計を用いて計量を行なう量的研究に対して、計量化できない内容を徹底的に現場の声を聞くことでアプローチしようという質的研究の試みです。

今回は、村上先生との対話を通じて、「地域と人にいかに向き合うのか=自分と向き合うのか」について現象学的に探求してみます。


対談企画 第4回
向き合い方を哲学し、
良いカタチを探る。
――徹底的に当事者の語りを聞く――

ゲスト 村上靖彦さん


主宰:新井将能
協力:PHP研究所『PHP』編集部
構成:高野朋美
写真:武甕育子

新井将能
(あらいまさよし)

株式会社NEZASホールディングス代表取締役社長。栃木県出身。東洋大学大学院経営学研究科、社会学研究科修了。早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得。経営学修士、社会心理学修士。神奈川大学非常勤講師、事業構想大学院大学客員教授を歴任。

村上靖彦
(むらかみやすひこ)

1970年、東京都生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。2000年、パリ第7大学で博士号取得。専門は現象学的な質的研究。著書に『ケアとは何かー看護・福祉で大事なこと』(中公新書)など多数ある。


違和感をそのままにしない


新井 : 私は、人といかに向き合うべきかという問いを立てたときに、人と向き合うこととは自分と向き合うことではないかと考えるに至りました。 同時に、この考えを探究する一つの方向として哲学があるのではないかと考えていた際に、先生が大学で取り組まれている〝哲学の実験〟が目に留まりました。哲学をどう実践に活かすのかに関心を持っています。

村上 : 「哲学の実験」は、私を含む三人の研究者で名付けたものです。文献による研究ではなく、現場に通って研究するというスタイルだったので、このネーミングがしっくりきました。
とはいえ、私も哲学の研究をスタートした当初は、文献研究を主にやっていました。でも30代のとき、文献研究だけで哲学をやっていることになるのか、私が考えたかった「人との向き合い方」を追究することになるだろうか…という違和感が生じました。 そんなとき、友達の小児科医が「病院に遊びに来ないか」と声をかけてくれました。そこで自閉症の子どもたちと出会ったのが、現在の研究スタイルを生み出すきっかけとなりました。
重度の自閉症の子どもたちとのコミュニケーションでは、言葉がほぼ機能しません。伝わらないんです。いっしょに遊んでいても、私によじ登ってくるなど、私を遊び道具の一つと捉えることもあります。そのとき「彼らの目に、世界はどう見えているんだろう…」という疑問を抱きました。目の前で起こっていることは、既存の哲学書で説明できることではない。哲学だけで解き明かせるのはごく一部ではないか。そう気づきました。

新井 : これまで研究で培われてきたアプローチが、上手く適用できなかったということでしょうか。

村上 : はい。ただ、哲学の方法論である現象学の「ものの見方」は使えるのではないか、と思いました。自閉症の子どもたちとの関わりを言葉にするために、やり方をどう変えたらいいのだろうか。そんな問いを立て、文献研究で学んできたものを土台にしながら、現場にいる当事者と関わり、最近ではインタビューをして語りを聞く、という現象学的なアプローチを考え出しました。


言葉の中に隠れているものを探す


新井 : 先生は多くの方々をインタビューされる中で特定の言葉に注目し、それらを普段とは違うリズムとして捉えられているかと思います。これはどのように理解すればよろしいのでしょうか。

村上 : 私が大切にしているのは、当事者にしかわからないことがある、という観点です。その人が人生をどう捉えているかを知るには、本人の語りを分析し、ご本人に確認してもらうしかないと思っています。その記述と分析の仕方として、現象学が使えるんです。 例えばこんな事例です。
薬物依存のお母さんに育てられた、ある貧困家庭の男性をインタビューしたことがあります。子どもの頃の彼にとって、夕飯にカップラーメンが出てくるのは「普通」のことでした。でもあるとき、友達が遊びにきて「おまえんち、夕飯にカップラーメン出すの?」と言われ、初めて自分の家庭が「普通」とは違うことに気づきます。しばらくの間、彼は友達の言う「普通」の家庭に憧れていたのですが、自分を大切にしてくれていた母親が亡くなり、あらためて「普通って何?」と世間の価値観を相対化したといいます。
一口に「普通」と言っても、彼の人生の中で、「普通」の持つ意味合いが変わっていることがわかると思います。その人の何気ない言葉遣いを拾い、意味の変化を分布図のように配置していくことで、言葉の後ろに隠れている「人生の意味づけ」を知ることができるんです。
一般に、学問は客観的なものの見方をします。しかし現象学はその逆。人を外側からではなく、徹底的に内側からの視点で見ます。ですから、非常に個別的ですし、決して一般化はできません。でも、先ほどの彼のように、彼が感じている「人生の意味づけ」には、彼とまったく共通点がない人にも、訴えかける何かがあると思います。

新井 : 哲学や現象学を学んだことのない私のような者でも、そのようなアプローチ法を身に付けることはできるのでしょうか。

村上 : そんなに難しい話ではありません。コツをつかめば、誰でもできます。 私の研究室に、庭づくりを現象学的に記述したいと言ってやって来られた修復の専門家がいます。庭はどうやって造られ、季節ごとにどう変わっていくのか、庭師独特の隠語のやりとりや歴史的な過程の中から、自分なりのやり方を発見し、庭造りのダイナミックな部分を造り手の側から捉えていました。こうしたアプローチは、まさに現象学です。


「根ざす」とはどんな状態なのか


新井 : 以前、〝雰囲気の良さ〟に関心を持ち、職場の雰囲気について研究したことがあります。雰囲気の良さという誰にでも好意的に受け容れられそうな状況を具体的にどう作れるのかを探りたかったからです。
結果的に、個々人が有する価値観のようなものが雰囲気の感じ方に影響しそうだということはみえたのですが、一方でどのようにすればそうした状況を作れるのかについては課題のまま残りました。
たとえばこうした問題意識を現象学でアプローチするとしたらどのようになるのでしょうか。

村上 : 職場の人一人ひとりにインタビューし、どんな職場なのかを表現してもらう、といった手法が考えられるのではないでしょうか。表現されたものはそれぞれ違うかもしれませんが、誰もが「良い雰囲気だ」と思っていたら、それが一つの「雰囲気の良い職場のカタチ」なのだと思います。
組織のカタチは、客観的な指標や数値で捉え切れません。なぜなら、組織のカタチはそこにいる人にしかわからないものだからです。客観指標を用いても、本当の姿は見えてこないように感じます。

新井 : お話を伺っていると、私が今探究しようとしている地域に根ざすとは何かということも客観的な指標を用いて捉えることは難しいのかもしれませんね。
同時に、ビジネス上のマネジメントで無意識の内に何らかの指標を頼りにしていることが地域に根ざすということを難しくさせているのかもしれないなとも思いました。

村上 : 新井さんの思い描く「根ざしの理想の状態」とは、どんなものなのでしょうか。何か足りないと思っていらっしゃるのでしょうか。

新井 : 現時点で理想の姿があるわけではなく、たとえば、寄付をする、社会貢献と称した活動に参加するといったことは地域に根ざした活動なのかという疑問です。これらは必要な活動であり意義もあるのだとは思うのですが、根ざしているかと問われると即答しにくいと感じています。
また、何か地域で抱える課題に対する事業活動などは、本当に地域に根ざしていると言えるのかといった疑問です。

村上 : 新井さんのお話をうかがっていると、地域に根ざすとは、地域貢献に限らず、地域の中で一つの組織がどう育っていくのか、ということのように聞こえます。

新井 : 地域の中でどう育つのか、これは今までに意識したことのない問いでした。 これまでの問い、そしてそれに対する問いを今一度整理しながら、現象学的なアプローチも視野に入れて今後も探究し続けてみたいと思います。
(了)

トップに戻る